2013年02月16日
南部今昔
さて、今回も皆さんを過去の世界にいざないましょう。
建国記念日だった11日、貴重な休日を休まずに過ごす企画。
今回は古い写真にある場所が今どうなってるのかをテーマに南部を攻めてきました。
大正8年頃の石橋の写真。

具志頭にあるハナンダーという名の、琉球石灰岩が自然の侵食により
形成された自然橋です。
なんと色付けされたガラス写真も持ってました。

八重瀬町は具志頭交差点から入ってすぐ、橋のある白水川の手前には歯科医院が。
あ、だからハなんだ~と思いつつ眺めてみるも何かもの足りなさ。

一度通り過ぎて反対側から見たらイメージが一致しました。

見難いですが垂れ下がった岩が同じ形です。
残念ながら川はコンクリートで整備されていて下りることは不可。
当時と同じ角度での撮影は叶いませんでした。
橋は今でも現役で活躍しています。

続いては、先日実家に帰省した際に見つけた今から30年位前の昭和56年、
自分にとって初の沖縄旅行の時の写真。

ムーンビーチなどの写真に混ざっていて場所がまったくわからなかったのですが、
展望台、階段、などの検索ワードにて、ついに場所を特定。
平和祈念公園にある摩文仁の丘の展望台から第32軍司令部壕へと降りてゆく階段と判明しました。
で行って来ました。本当は写真と同じような日差しの中写真を撮りたかったのですが、
当日はほんのり小雨。誰もいない広大な公園をとぼとぼ歩きます。

ありました。

階段が新しくなって、位置も壕にアクセスしやすくなっています。
比較用に写真を加工してみると、

ちなみに階段はこんなふうに進化してます。

沖縄戦の指揮をとっていた第32軍、
首里城の地下に巨大な壕を掘り司令部としていましたが、その後津嘉山へと追いやられ、
最後はここ摩文仁の壕へと場所を移しました。
そしてこの地で牛島満司令官、長勇参謀長が自決、日本軍の組織的な戦いは終わったのでした。
階段をひたすら進むと海です。

建国記念日だった11日、貴重な休日を休まずに過ごす企画。
今回は古い写真にある場所が今どうなってるのかをテーマに南部を攻めてきました。
大正8年頃の石橋の写真。

具志頭にあるハナンダーという名の、琉球石灰岩が自然の侵食により
形成された自然橋です。
なんと色付けされたガラス写真も持ってました。

八重瀬町は具志頭交差点から入ってすぐ、橋のある白水川の手前には歯科医院が。
あ、だからハなんだ~と思いつつ眺めてみるも何かもの足りなさ。

一度通り過ぎて反対側から見たらイメージが一致しました。

見難いですが垂れ下がった岩が同じ形です。
残念ながら川はコンクリートで整備されていて下りることは不可。
当時と同じ角度での撮影は叶いませんでした。
橋は今でも現役で活躍しています。

続いては、先日実家に帰省した際に見つけた今から30年位前の昭和56年、
自分にとって初の沖縄旅行の時の写真。

ムーンビーチなどの写真に混ざっていて場所がまったくわからなかったのですが、
展望台、階段、などの検索ワードにて、ついに場所を特定。
平和祈念公園にある摩文仁の丘の展望台から第32軍司令部壕へと降りてゆく階段と判明しました。
で行って来ました。本当は写真と同じような日差しの中写真を撮りたかったのですが、
当日はほんのり小雨。誰もいない広大な公園をとぼとぼ歩きます。

ありました。

階段が新しくなって、位置も壕にアクセスしやすくなっています。
比較用に写真を加工してみると、

ちなみに階段はこんなふうに進化してます。
沖縄戦の指揮をとっていた第32軍、
首里城の地下に巨大な壕を掘り司令部としていましたが、その後津嘉山へと追いやられ、
最後はここ摩文仁の壕へと場所を移しました。
そしてこの地で牛島満司令官、長勇参謀長が自決、日本軍の組織的な戦いは終わったのでした。
階段をひたすら進むと海です。

Posted by しまぶく歯科 at 21:45│Comments(0)
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